私の「浮気」と、妻との修羅場(ねじめ正一)が出ていた。
>> 普通はどちらか一方を選ばなければならないのに、私はどちらも手放したくなかったわけです。
この気持ちは男性としてはよくわかるけれど、女性からは総スカンだろうな・・
手放したくないというのは、少し傲慢かもしれない。人は人の持ち物ではないのだから。選ぶというのも、人がそれぞれに別々のよいところを持っている以上難しいし、人を選ぶというのは傲慢に思える。
生きることに、いろいろと迷いがあるときには、仏陀の教え(五戒四摂事)が役に立つ(?)五戒四摂事の解説は、アルボムッレ・スマナサーラ氏の「ブッダの幸福論」が分かりやすい。一応、概略だけ示しておくが、多くのWEBサイトの解説ではこの本よりずっと強い戒律になっていることが多いようだ。
五戒
・不殺生 :殺さない
・不偸盗戒:盗まない、一人分で生きる
・不邪淫戒:性欲を正しくない方法で満たそうとしない
・不妄語戒:うそをつかない
・不飲酒戒:酒を飲まない
四摂事
・布施:人に何かをしてあげる
・愛語:優しい言葉を話す
・利他:人の役に立つ
・平等:差別をしない
たった、9つのことを実践しようというのが、ブッダの教えである。
飄々と実践したいものだ。
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でも、結婚していたらぐっとこらえて片方にしておくべきなんでしょうね。
>>私はどちらも手放したくなかったわけです。
→同時に、ねじめさんの相手の女性2人も、ねじめさんを手放せなかった訳ですね〜
さて・・・
・不殺生 :殺さない
→虫やなんかは殺します、殺された動物を食べます・・・という点で難しい(--) 精進料理も好きですが一生それだけで生きていく気はしません
・不妄語戒:うそをつかない
→絶対つかない!とは、正直言いきれないかもしれません(--)
・不飲酒戒:酒を飲まない
→これは絶対無理です(^^;
(「不妄語戒」。私って正直です!)
やはり、俗世間で生きていくしかなさそうです・・・
西欧国家の法制度を取り込んで「結婚」があほらしいほど重い意味を持つようになってますね。人の揚げ足取りばかりするマスコミがそれに輪をかけて世論を誘導するのですが、日本人たる我々は、元来どうあるべきかをもう一度考えるべきだと、い〜ぐるなんかは思うわけであります(^^)
仏陀って、ようするに、今あるものに感謝をして、人生を楽しみなさいといっているんだと思うのです。戒律も、みんなが思うほど強いものではなくて、こうした方が心安らかだよという程度の意味だと思います。
そもそも、植物だって生きているのだから、何も殺さずに人は生を続けられません。酒も飲みすぎなければいいんでは?(酒は飲んでも飲まれるなデスよ)
ところで、キリスト教(ユダヤ教)には、モーゼの十戒があるんだけれど、後半はよく似ている。戒律を作らなくてはいけないほど、世の中は乱れているということだろうけれどね。
ちなみに、キリスト教では、殺してはいけないというときに、対象は人だけを意味しますが、「人」には、異教徒が入っていません。このあたりがとても胡散臭い(爆)
主が唯一の神であること
偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
神の名を徒らに取り上げてはならないこと
安息日を守ること
父母を敬うこと
殺人をしてはいけないこと
姦淫をしてはいけないこと
盗んではいけないこと
偽証してはいけないこと
隣人の家をむさぼってはいけないこと